長崎市の平和公園、そしてその周辺に点在する防空壕跡。
ここは1945年8月9日、一発の原子爆弾によって数万人の命が一瞬にして失われた爆心地付近です。ネット上では「国内最恐」と語られることもありますが、それは恐怖というよりも、あまりにも凄惨な歴史的背景に基づいています。

1. 歴史・背景
1945年8月9日午前11時2分、長崎市北部の松山町上空で原子爆弾が炸裂しました。
平和公園はその爆心地(松山町)のすぐ隣の丘に位置しています。
当時は防空壕が多数掘られており、爆発の熱線や放射線、その後の火災から逃れようと、多くの人々が防空壕へなだれ込みました。
しかし、壕の中もまた地獄と化し、力尽きた人々で溢れかえったと言われています。
2. ここで起きた事件
原子爆弾投下直後、水を求めて多くの被爆者が公園内の「平和の泉」付近や、防空壕、近くの浦上川へと向かいました。「水を、水を…」と喘ぎながら亡くなっていった方々の無念は計り知れません。
被爆者が「水を、水を」とうめきながら亡くなっていった史実は、平和公園内にある「平和の泉」の建立理由そのものです。石碑には、喉の渇きに耐えかねて油の浮いた水を飲んだ少女の手記が刻まれています
また、公園周辺(下の川沿いや山際)には現在も封鎖された防空壕跡が点在しています。これらは崩落の危険があるため、コンクリートや鉄扉で厳重に閉じられています。
戦後、大規模な遺骨収集が行われましたが、あまりに広範囲かつ膨大な犠牲者であったため、現在でも工事や土砂崩れの際に遺骨が発見されることがあります。
そのため「まだ残っている」という説は単なる噂ではなく、悲しい事実としての側面を持っています。
3. 起こる怪奇現象
- 「水をください」という声: 夜間の平和公園を歩いていると、どこからともなく掠れた声で水を求める声が聞こえる。
- 無数の黒い影: 爆心地公園周辺で、地面に焼き付いた影のような黒い人影が横切るのが目撃される。
- 防空壕からの視線: 封鎖された壕の隙間から、何十もの目がこちらをじっと見つめているような感覚に陥る。
- 電子機器の完全停止: 爆心地付近や特定の壕跡前で、スマホやカメラが一時的にフリーズし、その場所を離れると正常に戻る。
4. アクセス方法
- 住所: 長崎県長崎市松山町(平和公園内および周辺)
- 交通: 長崎電気軌道(路面電車)「平和公園」電停から徒歩すぐ。
- 備考: 平和公園自体は24時間入園可能ですが、防空壕跡の多くは私有地や立ち入り禁止区域に含まれます。
5. 現地での注意事項
- 鎮魂の場であることを忘れない: ここは「心霊スポット」である前に、人類史上類を見ない惨劇が起きた**「慰霊の地」**です。冷やかしや騒ぐ行為は絶対に厳禁です。
- 無闇に壕を覗かない: 物理的な崩落の危険だけでなく、精神的に非常に強い影響(霊障というよりは「負の感情の共鳴」)を受けやすい場所とされています。
6. 裏の顔(都市伝説的側面)
「平和の像が夜中に動く」という子供向けの怪談もありますが、より深刻なのは「消えない熱」の噂です。
真冬の深夜、特定の防空壕跡や爆心地付近だけが、周囲より数度気温が高く、まるで当時の熱線が今も残留しているかのように感じることがあると言われています。
また、このエリア一帯は、霊能者が「あまりの念の強さに足を踏み入れることができない」と口を揃える場所でもあります。
7. 地元住民のインタビュー
「あそこら辺はね、今でこそ綺麗な公園だけど、私たちの親の世代は『夜には絶対に行くな』と言っていましたよ。お化けが出るからじゃない、亡くなった方たちがまだあそこで水を求めているから、その悲しみを知ってしまうのが一番辛いんだって。
今でも、雨の降る前の蒸し暑い夜なんかは、どことなく焦げたような匂いが漂ってくることがある気がします。あれはきっと、忘れちゃいけないっていう伝言なんでしょうね。」
(長崎市在住 80代女性)
まとめ:このレポートを作るにあたり
たくさんの被爆者の思いや当時の悲惨な状況は子どもの頃から平和学習で学んでいるので、どうしてもこの場所を心霊スポットと呼ぶ、もしくは追加するということを拒んでいました。
少しでも日本の過去にこういう出来事があったということを伝えなければならないと思っています。怪談でもそうですが、平和を祈りつつ後世に残せる話を作っていきたいと思っています。


